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勝手神社再建委員会
勝手神社
勝手神社本殿再建計画 趣意書
勝手神社は、平成十三年九月二十七日午後〇時十分ごろ不審火によりまして、無念にも焼失いたしました。
勝手神社は、昔「吉野山口神社」「勝手明神」とも称せられ格式高い延喜式内社で、全国の勝手神社の総本山であり、支社は全国二十八社に分神して、毎年支社から多くの氏子、崇敬者が本社参りをされ、「武運長久」「護国鎮守」「家内安全」「開運繁栄」の神社として崇められ、又、吉野八社明神の一つとして、大峰山参詣の山伏修験者の「行場の一つ」として、信仰の聖地とされてまいりました。
勝手神社は、全国から吉野を訪れる観光客の方々にとって「吉野は心のふるさと」と親しまれ、桜の名所の中枢、袖振山を背に「心が癒される場所」として、昔から貴重な観光スポットでもございます。
創建は不明なるも「日雄寺継統記」によれば、孝安天皇六年十二月と伝えられ、大海人皇子(天武天皇)が琴を奏でられ、天女が舞い降りて、五度袖を振りながら舞ったと伝えられ、「五節の舞」の発祥地とされております。
又、静御前が捕らえられ、この社の神楽殿で法楽の舞をさせられた「舞塚」があることでも有名で、義経や静御前を慕う人々が後を絶たない史跡でもございます。
御祭神は、「天之忍穂耳命・大山祇命・久々能智命・木花咲耶姫命・苔虫命・葉野姫命」の六神で、主神の「勝手」という御名のとおり「勝運の神」「必勝の神」や「芸能の神」また、「山の神」「桜の神」として、多くの方々から信仰を集めてまいりました。
この勝手神社の建物は、「三間社流造の連棟社殿で、正面左右の千鳥破風付の桧皮葺」が特徴で、全国的にも類例のない珍しい建物で細部の意匠も優美で変化に富み、日本文化の神髄を極めた貴重な建築物でありました。
棟札によりますと、本殿は豊臣秀頼により慶長年間に再建され、正保元年(一六四四)に焼失し、明暦二年(一六五六)に再建されました。又、明和四年(一七六七)再び焼失し、安永五年(一七七六)に再建されました。度重なる焼失にも決して絶望することなく、先人の方々の、血の滲むような努力により再建されてまいりました。
このことを思うとき、何としても焼失前の建物を再建し、後世へと引き継いでいかなければならないと痛感いたしております。いかなる障害や困難があろうとも、吉野山自治会の皆様はじめ、全国の吉野山を愛する崇敬者の人々と心を一つに合わせ、子々孫々に引き継ぐべき義務ではないかと存じます。
つきましては、現下経済事情の極めて芳しくない時期、各位におかれましても、何かと出費ご多端の折ではございましょうが、何卒宜しくご拝察の上、再建に向けご協力賜りますようお願い申し上げます。
平成二十七年七月吉日
勝手神社再建委員会
顧 問 衆議院議員 田野瀬 太道
顧 問 衆議院議員 前田 武志
会 長 吉野町長 北岡 篤
副 会 長 吉野山自治会長 古澤 登
副 会 長 勝手神社代表役員 佐藤 一彦
勝手神社本殿再建計画
1. 再建計画概要
(1) 本殿復元工事
旧社殿の建築様式と規模に倣って再建を行う。
・構造形式 桁行七間(三間二棟連棟形式)、梁間二間、流造、正面左右千鳥破風付、檜皮葺
・建築面積 柱真々 121,587㎡
(2)建築場所
旧社殿跡地
・奈良県吉野郡吉野町吉野山2354
(3)再建期間
・寄附金募集期間 平成27年8月〜平成29年7月 3年間
・建築工事期間 平成29年8月〜
2. 資金計画
(1)再建必要経費 4億円
(2)寄附金目標額 4億円
再建資金に関しましては、神社自体に再建を担う資力がなく、また、奈良県の文化財指定も社殿消失とともに指定を解除され行政の補助も受けられなくなりました。氏子皆様をはじめ吉野町、奈良県、広く全国の崇敬者の方々のお力に頼るほかなく、何卒宜しくご拝察の上、再建に向けご協力賜りますようお願い申し上げます。